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“drama H.P.FRANCE” でお取り扱いのブランドには、

それぞれ特殊な経歴を持つデザイナーが多くいらっしゃいます。

デザイナーそれぞれの物語を紐解きながら、ブランドの神髄に迫ります。

第一回目は「bondlamp」デザイナー

マエダ トシタカ氏の軌跡をたどる物語です。


 
「bondlamp」デザイナー : マエダ氏の場合


とどまることを知らない探求心と、マエダ氏を突き動かすエネルギーの源に迫ります…
テイラーの祖母のもと、ものつくりが身近な環境に育つ。

幼少期より遊び道具としてミシンを与えられマエダ氏は、自然と洋裁の技術を身に着けていった。

建築系の高校へ通いながら、文化服装学院通信制で服飾のスキルも学び、なんと高校1年生で、古着の卸起業。
そして、高校二年生の期末試験を受けてそのままの足で単身アメリカへ。

そこでマエダ氏のジュエリー作りのルーツともなる、ネイティブアメリカンジュエリーの作家と出会います。
3年ほどの修業期間を終え、2000年ビザが切れたタイミングで日本に帰国。
友人の依頼で制作していたレザーウェアが好評となり、レザーウェアのオーダーメイド事業を始めます。
某アーティストのPV衣装等を制作。
当時、レザーウェアのボタンやジップヘッドへのダイヤやルビーの石留めなどの需要が多かったそう。
しかし、宝飾の技術があまり無く、石留や宝飾というものの知識も全くなかった為、宝飾系の専門学校でジュエリーの基礎を学ぶこととなります。
そして技術の探求に目覚め、レザーの会社は任せ、彫金工具を背負い世界へ旅に出ます。

タイの山岳民族、カレン族に師事した際には、作業場や工具も少ない中で素晴らしい作品を作ることに感銘を受け、ものつくりの基礎が身にしみてわかるきっかけになったといいます。

そして、25歳でイタリア フェレンツェへ。 石留め、彫り等の技術を学びに職人が教える彫金スクールへ通います。 他にもいろいろな国で自身の腕を磨きながら、作家や世界的ブランドファクトリーの職人として従事。 海外で学ぶ中で、日本の技術をあまりにも知らないことを痛感し、2008年帰国。 ネイティブアメリカンジュエリーの制作は今も続けているそうです。
そして2015年、ボンドランプの設立に至ります。

人との繋がり、そして現在過去未来なども含めた、「繋がり」そのものをテーマに、制作を続けているマエダ氏。 環境問題や地域の発展にも意欲的に取り組んでおり、今は地元九州の天草のものを使用したコレクションを作成中。

自身の興味にどん欲に、常に新しい刺激を求め続ける、 マエダ トシタカ氏の旅はこれからも続きます。