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コロナ禍の巴里

 

今この人に会いたい!
- Marie & Gilles from MEDECINE DOUCE -

パリ10区のサンマルタン運河
2021年3月末以来第3回目のロックダウン下にあるフランス。2020年の最初のロックダウン時の拘束よりは緩く19時までは外出可能とはいえ、基本的に商業店舗やミュゼのようなカルチャー施設も依然として閉鎖されたままです。夏時間に移行し、光の中に春の兆しを感じるようになりましたが、4月中旬の時点でフランスのコロナ感染者数は未だ減ることなく毎日平均4万人前後を数えます。
ラテン民族で、おしゃべり好き、食にもこだわりを持つフランス人にとって、人と談笑すること、語り合うことは日常的に重要な暮らしのエッセンスであり、カフェ・レストランの長きにわたる閉鎖や、社会的交流の欠如自体が生活習慣を覆されるような精神的な苦痛と言っても過言ではないでしょう。5月以降に予定されている段階的な政策緩和と通常への回帰をパリ市民は待ちわびています。

そんな状況下のパリで、今回私はMEDECINE DOUCE(メドゥスィン・ドゥース)のデザイナーであるマリーと経営を支える旦那さんのジルに会いたいと思い、お二人の住むパリ11区の自宅でお話をうかがってきました。


 

2月末の新コレクションで日本とZOOMミーティングをして以来ですね。その後お元気でしたか?


社会的な交流が無くなってしまい、本当に完璧に離れ小島に閉じ込められたような気分でした。これまで自分が仕事上学んできたことって、すべて人とのつながりから学ぶことがほとんどでしたが、ここへ来て展示会はなくなるは、アポイントのすべてはZOOMの画面上だしで、「着る」喜びもどこかへ行ってしまった感じです。私はよく胡坐をかいてZOOMをしていたのでソフトで着心地のいい服を選び、あまりにも着飾らなさ過ぎの常に同じ格好だったせいでビジューがとても重要な存在になっていました。ロックダウン以来、15年ぶりに取り出したイヤリングがあって、このイヤリングのおかげでほんの少しでもセクシーで自分らしくいられるかなって。これをつけてZOOMに臨むと自然に自分らしくいられるような気がしたし、光を取り込んで少し華やかになるし、お化粧と同じ効果でしたね。
採光の良いサロンは木の風合いを生かしたナチュラルで優しい雰囲気に包まれ、マリーとジルの人柄を反映するかのような空間。
娘さんのマルグリットがマリーとジルを説得して、保護施設から引き取ったNEKOという名の猫がいつもあたたく迎え入れてくれる。

社会がこんな状況だとクリエーションのインスピレーションを求めることも難しいですか?


外に出てインスピレーションを得ることが出来ないし、ずっと家にいる時間が長くなってしまったから、容易ではないです。実際最新の秋冬コレクションは、こんな風にZOOMでしか人とつながることができなかったから、家に居る自分、ZOOMに臨む自分が最低限にセクシーでいられるように、画面に映る自分に輝きを与えられるように、拘束があるこの状況で自分が自分らしくいれるようにという思いからコレクションを作りました。

ロックダウンになってフランス政府は「ノンエッセンシャル(本質的に重要でない)」なものを扱う店舗をすべて閉鎖しましたよね。要は食べ物を取り扱うスーパーとか、薬局しか開いていない。でも、生きるのにエッセンシャル(本質的に重要)なものやノンエッセンシャルなものって人それぞれ違うはずじゃないですか。だから私はどうしても言葉自体にも納得が行かず、ロックダウン、外出規制を繰り返してきたこの1年間ずっとなんだか腑に落ちずにいました。


私たちも考えましたよ。これからどの道を選んで進んでいくのか、自分たちがどういう風に世界に関わりたいか、そもそも自分自身がどうあるのか、自分たちにとって何がエッセンシャルかを考える時になりましたね。仕事上のパートナーシップのエッセンシャルなものとかも。逆にこれからはそうありたくないこと、そういう方向には行きたくないとかNOの部分も見えた。コロナ禍ではこうした自問自答を余儀なくされたと思います。
とても写真が苦手とはにかむジル。マリーとジルのデュオが築き上げたMEDECINE DOUCE。

長く続くコロナ禍の拘束の中で、何が一番欠けていてつらいですか?


とにかく社会的なつながりですね。ヒューマンな人と人のつながり。そこから受ける刺激も。やっぱり人生の中のお祭り的な楽しい部分やコンヴィヴィアリテ(人と会食する時の親近感等を指す)とかですね。そしてそういう人と人との交わり、ミックス感からはクリエーションに適した肥沃な土壌が生まれやすいと思います。それが現状では皆とても自分の中で閉じこもり内省的になってしまっていますから、こういう状況下で新しいコレクションを作るのは実際難しいですね。

世界的に多角的な打撃、人々に先の見えない不安感を与えているコロナですが、それでも何かポジティブなことももたらされたと言えるような点がありますか?


私はどこかで信頼しているというか信じているんですが、きっとしばらくまだこういう居心地の悪いおかしな時は続くと思うけれど、でもその後に社会がある種のバランスを見つけ出して収まるんじゃないかなって。私も最初はこの状況に怒りに近いものを感じていましたが、たとえばエコロジーの問題なんかを例にとって考えても、プラスがあるのではないでしょうか。ここまでの状況がなかったら、地球の温暖化とかエコロジーの問題に対する本当の意味での大勢の意識の覚醒もなかっただろうし。フランスでは特にピラミッド型の社会がずっと続いて来たけれど、もっと社会もコミュニティーのような形態が発展して人類の歴史上これまで無かった時代が来るんじゃないかしらっていう期待を持っているんですよ。そして意外とそれはそんなに先じゃない気がして。

地球にも自然にも人にももっと優しい社会が早く来ることを信じたいですね。
ロックダウンの拘束もコロナも終息した暁には行きたい場所とかやりたいことはありますか?


これまであまりにも「内」にこもっていたから、やっぱり「大自然」に惹かれます。広大なスペース、地平線、海岸の絶壁を見たいなあとか、、、かつてないほど自然とのコネクションを求めているのを感じます。コロナ禍で自然が私たちにもたらしてくれるエネルギーをあらためて痛感しました。

 
サロンの向かいにある中庭でポーズをとってくれたマリーはいつも少女のように若々しい。


 

何かコロナ終息後のファッションでイメージできることは?


もしかしたら、「トンドンス=傾向」とかファションショーとかファッション業界の潮流や拘束から解放されるかもしれないですね。もう傾向とかから解放されることになったら私はうれしいなあ(笑)。コロナのおかげで、もっと人生の内面的な部分に目を向け、何かを自分の中に酌みだそうとする方向に向かうのではないかと思います。「私」が本当に欲しいもの、必要なものは何だろうと考える。それはそれで、興味深いことですよね。
ファッションももっと消費は「少なく」、でも「よりベターに」消費するという方向に向かっていく気がします。

一つ確かなことは、クリエーション自体が無くなることはないということですね。
トラウマに近いような傷ついた経験、心の内面に出来たヒビのようなものから素晴らしいクリエーションが生まれてきたことは音楽や美術界でも歴史がそれを証明しています。クリエーションはそれらを修復する行為でもあると思うのです。だから今後も逆に私たちはもっともっとクリエーションが必要になる気がしますね。もしかしたらそれはまた別の新しい形で顕れるのかもしれませんが。だからファッションにおけるクリエーションも無くなることはあり得ないと思います。

   

 

私も社会的交流にちょっと飢えていたのかなと思うほどに会話がはずみ、あっという間に時間が経っていました。 そもそもMEDECINE DOUCE(メドゥスィン・ドゥース)とは直訳すれば「優しい医学」のような意味で、いわゆる正規の医学とは違うまた別な「オルタナティブ」な医学を指します。たとえば、アユーベタ療法、針、灸、自然療法等、漢方などもその一つに入るでしょう。 マリー・モントーはもともと南仏の都市のお医者さんの家庭で育ち、2000年にビジューブランドを立ち上げました。その時、自分は正規の医学でなくメドゥスィン・ドゥースのように、自分の作るビジューがそれを身に着ける女性が自分のケアをする、心と体によい何かをもたらすテラピー的な存在になって欲しいという思いでブランド名を決めたという話を、外出規制の門限19時までに帰宅するために急ぎ足になった帰路でふと思い出しました。 人の手のぬくもりとともに作られたビジュー、私たちが身に纏うアクセサリーはどれも私たちが自分らしくあるための、そして私達を癒してくれる心の媚薬なのだから、これはもう立派な『エッセンシャル』に違いありません。


文章
花岡 香織(はなおか かおり)
1987年に渡仏。ESDI(パリの工学デザイン学校)とパリ第8大学造形美術科卒業後、日本に帰国予定だったはずがいろいろな出会いに運命を託しているうちに気が付いたら今もパリに。。。
2001年からHPフランスのパリサイドで、フランスを中心とするフランス語圏のクリエーターと日本をつなぐコーディネート業務に従事。